詩人バトン
バトンって昔流行りましたね。。。
このバトンはそらしといろさんが作ったみたいです。やってみます。
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『詩人バトン』
1*ペンネームを教えて下さい。
福田紫峰です。
2*ペンネームに由来はありますか?
祖父が生前,狂俳やってて,「福田三峰」ってペンネーム(?)だったので,
さん(3)→し(4)
から(単純)。4ってあんまり縁起よくないけど。
あと「山紫水明」な創作がしたいなあ。。。というのと掛けてるのもあります。
3*詩を書き始めたのはいつ頃ですか?
高校のときくらい。部活やめちゃってぶらぶらして,バイトやりながらバンド(ギター)とかはじめたのと同じ時期。しばらくやってましたがその後ずっと飛んで,ペンネーム変えてわりと最近になって再開。
4*詩を書くきっかけになったことはありますか?
今となっては恥ずかしい話ですが,厨二病(高二病か・・・)こじらせて始めた感がありますね。
「若いエネルギーをどこかに吐き出さなくては!」とかなんとか言ってた気がします。嗚呼。
ただあのときは書きたいこと書きなぐってただけですし,他人の詩を読むことがほとんどなかったので,まあ・・・ちゃんと書いてたかっていうと微妙。
5*好きな詩人はいらっしゃいますか?
あと最近の詩手帖ではそらしといろさんが凄く好きです。
6*その詩人について語りたい事があったらどうぞ。
まあいずれ。
7*普段、どのように詩を書き始めますか?
思いついたときにメモしてます。
自転車を走らせてるときだったり,それは電車の中だったり,論文を読んでる間だったり。
ちょっとずつ肉付けをしていって,いい感じになってきたらパソコンに流して推敲。
8*書く時に使うのは、原稿用紙やノートorパソコンや携帯電話、どちらが多いですか?
iPhone→パソコン ですね。
私はわりとフリック入力が早い方と思うのですが,それでも次々頭に浮かんで消えていくものを書き落とすにはスピードが足りない。やっぱり電子媒体での入力は早いですからね。賛否あるのかもしれませんけど。わかりませんが。
9*書く時にこだわっていること(音楽を聴く、詩集を読む、技法、思想など)があったら教えて下さい。
音楽を聴きながら詩は絶対書けません。読めもしません。音楽聞いてるときはそちらにどうしても集中してしまうので,ながら勉強もできません。
読み手がどんな情景を想像しながら私の詩を読んでくれるのか,考えます。どんな難解な詩も,そこには決して意味のない言葉が陳列しているわけでも,一行一行が全く関係のないコンテクストで並べられているわけでもない(場合がほとんど)と思います。
逆に形だけ現代詩っぽくしようとして,無理してかっこよく見える奇抜な修飾関係の語を並べただけのものは響かないんじゃないでしょうかね・・・。そうならないよう,自戒も込めて,そんなことを考えながら書いたりしてます。
10*詩以外の文(俳句、短歌、小説など)を書くことはありますか?
短歌やってます。小説は掌編小説です。すっごい短いの。
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回答お疲れさまでした。
バトンを回すのは強制ではありませんが、バトンを受け取りたい方は、コメント欄等で意思表示をして下さい。
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ありがとうございました。
1%の冷静さが支配する,衝動的行動
本名でやっていた,本業について綴っていたブログを閉鎖した。
やや衝動気味だったが*1,すこし前からそろそろ潮時だとは思っていた。
ひとつは,言いたいことが言えなくなったこと。本名でやっていたというのと,院に進学すると必然的に自分の名前だけではなく,所属名がついて周るので,常に身内も含める周りの目にさらされ,明示的にであれ暗黙的にであれ,発言内容に規制がかかっていた。昔は論考の切れ味で売っていた(うわぁ手前味噌きもい)私だったが,当たり障りのないことしか書けなくなってきた。最終的には自分の学会発表の告知と御礼のエントリくらいしか上げなくなった。
しかし,上記のエントリですら,やれ本名がでたとか,やれ共同研究なのに自分だけ目立とうとしているとか,権利問題が徐々に浮き彫りになりはじめた。いやしかしね,共同研究なんて名前出さないと自分の手柄っぽくなるし,出したら出したで問題になるし。
しかもけっこうアクセス数の多いブログだったので(一日に三桁行く),先生の名前でググったら最初のページに私のブログが出てくるという問題が出てきた。ますますエントリは書き辛くなり,最早ブログを続ける意味がなくなっていた。
あんまり問題になるようなエントリを書くなと指導してくれた周りの方々に不満があるわけではない。寧ろこれから私のいるこの世界で円満に生きていくためには必要なことだったと思う。むしろ感謝しています。
ただ,あちらのブログを閉鎖し、こちらに書き込みをしている現在の,この,月並みな表現だが「開放感に満ち溢れた気分」は,久しく味わっていなかった懐かしく心躍るような嬉しい感覚だ。
例えるなら,逆流性食道炎が治ったときのアレな感じ(ええ、まさに)。
さて,このアカウントでどんなことが出来るだろうか。いやべつに何かヤバいことやるつもりはありませんが。というわけで,このブログを引き続きよろしくお願い致します。
名古屋COMITIA41
名古屋コミティア41に行って来ました。
いわゆる同人誌展示即売会というやつです。
オリジナルオンリーイベントということで,コスの人とかも少なく,文芸にも介入の余地があったのか3割ぐらい文芸だったように思います(身辺感覚統計です)。
ただその中でも,私が見逃していただけかもしれませんが,詩作品は1,2サークルでしか見当たらず,そのうちの一つは総合制作サークルの出している総合文芸誌の中に収録されているものでした。
なんだかんだ小説とかコミックもちょっと買って,戦利品はこんなかんじ(写真参照)。
ひとつ表紙と中身が上下逆さに入っていました。。。まあ高価だったわけでもなく,手製本でしたので仕方がないです。ひっくり返して読みます。
ちょっと見えてる『遠野物語2』が妙にシュールでクスっと笑える小冊子で,面白かったです。
原石堂さんの『書を作って町に出よう』は,別に寺山修司のパロってわけではなく,即売会イベントの指南書的なものでした。コンセプトが面白かったので購入。勉強させて頂きます。
『BALI』という作品は,薄い冊子の漫画なのですが,これは詩的におもしろかったです。大部分はセリフすらない絵だけで見せる作品なのですが,その絵が実に綺麗で一目見てガツンときて即買いしてしまいました。
詩となると,これを文字で表してその情景を読者の頭に描かせることができたらどんなに素晴らしいだろう・・・と妄想してみたり。
無料配布冊子をいただいたのですが,それを配っていた方が某国立大の准教授の方だそうでびっくり。私もアマチュアながら研究をしている身ですが,こういうのは続けてQOLを高めていきたいですね。趣味ってそういうものですよね。
皆さん本当に個性あふれる作品を出品していらっしゃいました。お相手して下さった方々に心より感謝致します。
同人のサークルってなんかいいですね。私も何かしてみたくなりました。
詩オンリーはもちろん,文芸オンリーのイベントも私の住居地周辺ではなかなか開催されないようなのですが,東京まで行くのは少々しんどい。
ただ文学フリマは今度大阪で開催されるようなので,ちょっと行って見てこようかなと考えています。
寺山修司
が,好きだ。
ちなみにこのブログの題も寺山修司の詩から取ってる。
この間,寺山修司詩集『愛さないの、愛せないの』を読んでいたら(これも何度読み返したかわからない),珍しく母親が食いついてきた。
どうやら私の親世代では,寺山修司は「フォークソングの人」らしい。
そういう実績があるのも知ってはいたが,私のようなタイムリーに寺山修司を見てこなかった人間が,詩に興味を持つところから彼にに辿り着いたら,そのようなイメージをもち得るはずもなく。
あと,寺山ファンを自称する割には,詩集と歌集以外はほとんど読んだことがない。例えば代表作『田園に死す』『書を捨てよ、町へ出よう』など。彼の長編が嫌いなわけではないのだが,目まぐるしく様々に方向を変えて切り込んでいく,常に隣に別の作品が並びある種,常時新鮮な感覚で読み上げていくことがデフォルトな「詩集」とは異なり,言葉の錬金術師ともいわれる彼の,一つの思想をあの一冊の分量分だけ正面から受け取って読み切ることは,私には少々重いのだった。
投稿
してみた。とりあえず。
鬼のように仕事をわ投げられる今日この頃だったのだけど、なんとか時間を作ることができた。
まぁ、そういえば投稿審査中のものがいつもういっこまだあるので、気長に待ちます。
しかし、このブログサービスはケータイから極めて更新し辛いな。