追い抜かれたものだけが存在する紙の上

詩,歌,掌編とかを趣味にする人の徒然

寺山修司

が,好きだ。

ちなみにこのブログの題も寺山修司の詩から取ってる。

 

この間,寺山修司詩集『愛さないの、愛せないの』を読んでいたら(これも何度読み返したかわからない),珍しく母親が食いついてきた。

 

どうやら私の親世代では,寺山修司は「フォークソングの人」らしい。

そういう実績があるのも知ってはいたが,私のようなタイムリーに寺山修司を見てこなかった人間が,詩に興味を持つところから彼にに辿り着いたら,そのようなイメージをもち得るはずもなく。

 

あと,寺山ファンを自称する割には,詩集と歌集以外はほとんど読んだことがない。例えば代表作『田園に死す』『書を捨てよ、町へ出よう』など。彼の長編が嫌いなわけではないのだが,目まぐるしく様々に方向を変えて切り込んでいく,常に隣に別の作品が並びある種,常時新鮮な感覚で読み上げていくことがデフォルトな「詩集」とは異なり,言葉の錬金術師ともいわれる彼の,一つの思想をあの一冊の分量分だけ正面から受け取って読み切ることは,私には少々重いのだった。