追い抜かれたものだけが存在する紙の上

詩,歌,掌編とかを趣味にする人の徒然

『Prozac Nation: Young and Depressed in America』

時間ができたので,なんとなく映画を借りてきてみた。ゲオが徒歩五分のところにあり,一本100円で借りれるので,私のような貧乏人映画好き(ただしそんなに詳しくない)にはたまらない。

Prozac Nation: Young and Depressed in America」

アマゾンレビューによると,
「刻なうつ病に陥った日々の心の地獄を綴った自伝。うつの気持ちのありのままを書き,うつ病患者がどう感じるか、経験の事実のみを綴り、うつ病が生活を、更に命を奪ってしまう深刻な病気であることを伝える。」
だそうだ。
しかしなんとも解釈が難しい映画だった。
うつ病を題材にした映画というのは得てして「結局鬱は幸せになれないのね」的な結末になるものだけど、この”Prozac Nation”はどっちかっていうと
「うつだっていいじゃないか にんげんだもの みつを」
的な感じ。いや,それではちょっとチープすぎるし,もっとずっしりと重い内容だったけれど,終わり方としてはグッドエンディングでもバッドエンディングでもない。これからも彼女はなんとかこの鬱と折り合いをつけていくのだろうと視聴者に想像させるかのような終わり方だった。

原作が鬱の人の自叙伝だけあって、その描写は徹底的にリアリスティック。
愛情表現は傍の「健常者」から見れば「病的」である。いわゆる,「病的に好く」という状態だろうか。自分が中心であり,誰と比べても,比べられることすら不毛なくらい,かけがえのない存在であって欲しいと願う。
しかし,というより,それ故の,溢れるほどの伝えたい物事・感情とは裏腹に,相手を突き放し,傷つける。その症状は皮肉なことに大切な人に対してほど顕著である。愛しいほど,いや愛しいが故に,壊してしまう。しかしそれは健常者の友人には理解され得ない。
結局,そうしたことからあまりに多くの孤独感を募らせた人間の行きつく先は「ドラッグ」や「セックス」,「アルコール」である。しかし、それらは決して心を満たしてくれるようなものではない。虚無感が募り,その解消の糸口を求めて、彼女は更にドラッグやセックスを重ねる。しかし何をやっても,そしてどこに当たっても,その虚無感は絶対に解消されることがない。唯一それを解きほぐしてくれるかに思えた恋人ですら,自らの手で突き放し,壊してしまう。

「好きでやってるように見える?」

その言葉がすべてを代弁しているように思う。

うつ病患者は常に死と隣り合わせである。彼らは衝動で死ぬ。死ぬのが痛いとか怖いなどとは違う次元で死を選択する。死を覚悟したうつ病患者に最も強く歯止めを掛けるのは友人や親兄弟,恋人の存在だそうだが,そのほとんどを失った彼女を制したのは何だったのだろう,などと考えさせられる。




それにしても毎回思うんだけどこういう映画って「健常者」の聴衆の目にはどう映るのかな。