追い抜かれたものだけが存在する紙の上

詩,歌,掌編とかを趣味にする人の徒然

物語、そして論文

小さい頃からよくものを書いてきたからか、書くことにはあまり心理的な抵抗はない。うまいか下手かは別として、極端に文法的に変なものを書くわけでもない、らしい。

 

私は院生なので、本業は研究を行い、結果を論文にまとめることなのだが、どうもよく言われるのが「お前のレトリックは科学論文のものではない」ということ。

 

一人一人登場人物が詳細に描かれ、それらの振る舞いも描写し、さあなにか事が起こった、犯人はこの中にいる…そんな構成でうまく読者を惹きつけられればいいのだけれど、それは物語などの場合(ちなみにこの「など」の多用も科学論文ではしばしば忌避される)。

 

ただでさえ複雑な内容を、誤解なく、かつ簡潔に伝えるために、科学論文にはそれ相応の構成、枠組みが用意されている。

 

抄訳で問題点、解決方法、結論を最初に簡潔に示す。先行研究のレビューで扱った内容は必ず本実験の結果後、議論で収束させる。トピックセンテンスは段落の最初に書き、そこに詳細を付け加える、とかとか。決して最後まで読んでやっと犯人がわかった、というサスペンスではいけない。

 

短歌や俳句が、定型や、例えば季語、詩でいうソネットの規則…などを初めとする細かいルールの縛りがあることで、その場に合った語、句、さらに高次の表現が極限まで洗礼されるというように、論文の厳格な形式にもそれなりの理由があるということ。

 

ただし、私はまだなかなかその科学論文の構成、レトリックに慣れないでいる。困った。